歴史
設立の沿革
社会福祉法人春光学園の創立は、隣人精神普及のために、「横須賀隣人会」を設立した大正11年8月にはじまります。大正12年9月1日に発生した関東大震災では、罹災民の救済のために授産事業と託児施設の設置により、大きな社会的役割を果たしました。
第二次世界大戦後、「横須賀隣人会」は、会本来の使命である隣人愛の運動を、この混乱期にこそ推進すべきであると決意して、いち早く児童福祉分野の取り組みに全力を注ぐという方針を決定し、昭和20年11月15日、同年12月1日に、「三和保育所」と「春光学園」を立ち上げました。
児童養護施設・春光学園は、南洋諸島のサイパン、ダバオ、パラオ、ミンダナオ、マニラ、ハワイ等々の引揚孤児を受け入れることから事業を始めました。浦賀港は引揚港であり、鴨居地区には引揚同胞収容所があって、その中には両親と同胞を亡くした引き取り手のない多くの引揚孤児の存在がありました。
「横須賀隣人会」は、旧海軍水交社独身将校寮を借りて、現在地で30数名の引揚孤児の収容から児童福祉事業を開始しました。
当時の子ども達の惨状については、園創立者の1人である樋口宅三郎が、「人生の路地・養護施設の十年」という著書の中に、次のような一節を残しています。
「私たちが南洋諸島からの引揚孤児を迎えて開園したのが、昭和二十年十二月二日、薄れ日の小寒い午後であった。横須賀市浦賀町鴨居の引揚同胞収容所に、敗戦の混乱から振り返るものもなくて、捨てられた犬の子猫の子のようにやせ衰えた骨と皮ばかりの孤児が三十人あまり、当てもない引取り人を待っていた。一枚の布団に二、三人ずつもぐり横たわっていた。遊ぶ体力も気力もない。目ばかり大きく、しかもどんよりと見開いて、名前を聞いても答えもしない。声さえ出なかったのである。(中略)人間はここまで痩せ得るものなのか、ここまで痩せてもなお生きていられるものか、骨に皮を被せたような、そうした子供たちだったのである。トラックから抱きおろしてもしゃんと地面に立つ子は1人もいない。玄関までのわずか六尺あまりを歩行し得た子はわずかに三人だった。」
ここに、児童養護施設「子どもの家・春光学園」の原点があります。
施設の歩み
1945年(昭和20年): | 開園 財団法人横須賀隣人会「春光園」 | |
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1948年(昭和23年): | 社会福祉法人春光学園養護施設「春光学園」に組織変更 | |
1959年(昭和34年): | 建物の改築(一部) | |
1961年(昭和36年): | 建物の改築(一部) | |
1987年(昭和62年): | 建物の全改築 | 児童定員 90名 |
1997年(平成 9年): | 児童定員 85名 | |
1999年(平成11年): | 児童養護施設「春光学園」に名称変更 / 家庭養育支援センター設置 | |
2000年(平成12年): | 建物の改修(幼児寮) | |
2006年(平成18年): | 小規模グループケアー導入 | |
2012年(平成24年): | ユニット化・個室化等施設整備工事 児童定員 80名 | |
2012年(平成24年): | 大規模修繕工事完了 | |
2013年(平成25年): | 児童定員80名 |